イチローが引退しました。
私がアメリカに住んでいた頃、アメリカ人の友達と野球場に行き、みんながイチロー!!と叫んでいるシチュエーションを日本人として誇らしく眺めていたことを思い出します。
イチローらしい引退会見でしたが、その中でアメリカに来て「外国人になったことで人の心を慮ったり、人の痛みを想像したり、今までなかった自分が現れたんですよね。
この体験というのは、本を読んだり、情報を取ることができたとしても、体験しないと自分の中からは生まれないので。」
という部分を聞いた時、いろいろな想いが私の中をめぐりました。
アメリカのすべてが素晴らしいわけではありません。
アメリカに行けば魔法のように英語ができるようになるわけでも、成功するわけでもありません。
アメリカに行く前の準備や事前に何をしたか、そしてアメリカにいる間何をしたかで得られるものは全く違います。
アメリカに行けば誰でもイチローのような想いをとらえ、経験をできるわけではないわけです。
しっかり考え、しっかり準備をし、しっかり日本ですべきことをしてからアメリカに行き、アメリカでの日々を一生懸命生きた人にしか語れない言葉だな、と思いながら聞きました。
日本にも外国人が増えていますが、外国人に限らず、多様な医療的なケアを受けながら生きている人々、障害や難病を持ちながら生きている人々、いろいろな家族の形や性的思考をもって生きている人々が増えています。
その存在を認識し、その生きづらさや付随する痛みや辛さを知ろうと努力できる人間こそが社会の核、要になっていくのかな、と感じます。
そのためにはまずしっかりと自分の人生に向き合って生きていくこと、それを基盤に人々と接することが大切なのだろうな、とイチローをみながら感じました。
|